確かな理由もないのに、疑ってしまう日に|人生の午後の列子

確かな理由もないのに、
疑ってしまうことはありませんか。

証拠はない。
決定的な出来事もない。

それなのに、
なぜか胸の奥で、
ひとつの結論だけが先に固まっていく。

あの人は、きっと私をよく思っていない。
この沈黙は、拒絶だ。
あの視線には、意味がある。

そんなふうに。

中国の古典『列子』に、
こんな話があります。

ある男が、斧をなくしました。

隣の家の子どもが怪しい。
歩き方も、目つきも、
どこか落ち着かない様子も、
すべてが“盗んだ人”に見えたそうです。

けれど数日後、
斧は自分の庭から見つかります。

すると不思議なことに、
隣の子どもは、
ただの子どもに戻りました。

世界は、変わっていなかった。

変わっていたのは、
男の心のほう。

疑心暗鬼。

疑いは、
外から入ってくるものではなく、
実は心の中で育ちます。

ひとたび疑いの色をまとえば、
景色は簡単に塗り替わる。

無言は敵意になり、
曖昧さは裏切りになり、
偶然は意図に変わる。

人生の午後に入ると、
人は少しだけ慎重になります。

経験が増え、
傷も増え、
予測する力も強くなる。

だからこそ、
まだ確かめていない未来や、
まだ確かめていない相手に、
心が先回りしてしまうことがある。

それは、弱さではなく、
守ろうとする力なのかもしれません。

けれど、その力が強すぎると、
世界はだんだん狭くなっていく。

心が急いで出した答えを、
いったん脇に置いてみる。

その色を、
そのまま信じすぎない。

疑いがほどけた分だけ、
景色は少し変わって見えます。

花子

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