Framingという挑戦:私はなぜ「ビジネス」を選んだのか

教育者として、そして一人の事業者として

このページを訪れてくださった皆さんは、 「もっと資金があれば、子どもたちにより良い指導を届けられるのに」 「もっと丁寧なサービスを提供したいのに、現実はなかなか難しい…」 そんな想いを胸に抱えてこられたのではないでしょうか。

そしてきっと、 フランチャイジーという不安定で孤独になりやすい立場のなかで、 生活のこと、教室運営のことにも日々向き合いながら、 懸命に工夫と改善を重ねてこられたのだと思います。

私自身も、そのひとりです。 そして何より、その気持ちを一番理解しているのは、 今もなお現場に立ち続けるあなたのような方だと感じています。


ボランティアで始めようとしていた私が見た現実

かつて私は、「フランチャイジーの労働環境を改善するために、何か役に立ちたい」と思い、 ボランティアとしての活動を模索していた時期がありました。

そのなかで、実際に地域で活動されているボランティアの方々とお話しする機会にも恵まれました。

「無償だからこそ、便利に扱われてしまうようで、心が折れそうになることがある」 「補助金が途切れれば、活動そのものが立ち行かなくなってしまう」

そんな声を、私は数多く耳にしてきました。 情熱だけでは続けられない。 現場を思えば思うほど、資金の必要性に向き合わされる。そんな現実が、そこにはありました。

そしてある時、1冊の本に出会います。 それが── 『9割の社会課題は、ビジネスで解決できる』という本でした。

この出会いが、私の考え方を大きく変えたのです。


共感だけでは、持続はできない

地域には、素晴らしい活動が数多く存在します。 けれど、どんなに良い取り組みも、“続けていく”ためには仕組みが必要です。

なぜなら、課題はいつも「お金」で止まってしまうから。

だからこそ、私は決めました。

この挑戦は、ボランティアではなく、“ビジネス”としてやる。

それは、誰かのためではなく、 この先の教育の可能性を絶やさないための、前向きな選択です。


Framingは、“知の循環”をつくる仕組みです

教室で紡がれてきた声かけ、教材の工夫、運営の知恵── それらはすべて、指導者としての人生から生まれた「知的財産」です。

Framingは、そのひとつひとつに“額縁”をつけて社会に届け、 必要とする人に届いたとき、そこに敬意と対価が返ってくる。

そんな「知の循環」を、仕組みとして支えるプロジェクトです。

知がまわる。 人がまわる。 そして、教育の現場が少しずつ変わっていく。


教育者として、誇りを持って「価値」を語れる未来へ

教育に携わる人が、「対価」について語ることに、なぜ遠慮が必要なのでしょうか?

私たちが提供しているものは、決して“無償で消費されるべき知”ではありません。

「ありがとう」で終わらせない。 「すごいね」を、ちゃんと形にして渡せるようにしたい。

それは、搾取ではなく、敬意の表現です。

Framingが目指しているのは、 教育者が教育者のまま、“つくる人”としても評価される世界。

そして何より、 あなた自身の経験に、あなた自身の手で価値を与えるという文化を育てていきたいのです。

フランチャイジーを守る法律が存在しない日本において、 私たちがこの立場の中でできることは何か。

それは、自分で自分に価値をつけること。 そして、自分で自分を丁寧に、大切に扱うという姿勢なのではないでしょうか。

Framingが描く未来(Vision)

現場で生まれた“知”が、埋もれずに、共有され、選ばれ、適正に評価される仕組みがある社会。

教育者が、自分の経験や工夫を「知的財産」として社会に示し、 他の誰かに届けられる場があり、そこに対価が返ることが“あたりまえ”になる。

指導に誇りを持つ人たちが、自らの知見を共有しながら、 地域・年代・立場を超えて学び合える。

無償で使い捨てられる知ではなく、敬意とともに循環する知が育つ文化。

Framingが目指すのは、そんな教育の未来です。